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絵置き場>>超岱企画(!)
「支柱となりし無形なる想い」
「若」と馬岱がそう呼ぶのはただ一人の従兄弟、馬超のみ。
蜀に降った今となっても馬岱は馬超を公の場以外ではそう呼んだ。
それが二人を更に孤立させるものだと知っていても、馴染めきれぬ理由だとしても馬岱にとっての主は馬超だった。
馬超にとっての馬岱が「岱」であるように。
馬岱の元に数々の品が寄せられた。
それは新たな土地で暮らす為に新たな主君より馬岱達に与えられた物だった。
次々と寄せられるそれは室に散在し、馬岱はそれらを片付けていた。
その内にふと手を休める馬岱。
「紙・・・。」
この時代に紙は大変貴重な物、そう易々と手に入れる事は叶わぬ品であった。
それを与えられるということは馬氏の嫡男である馬超の名の意味する物が多大なものだと伺える。
「ずいぶんと上質な物だ・・・。」
感心する声音とは裏腹に複雑な想いの感じられる声。
遇されている・・・それは馬超が臣となった証。
主であった者が臣となる、其れ故に虚しき想いが過ぎるのであった。
誰一人、知る人は今となっては誰一人いない・・・。
朋と呼べる者も、大切な者も多くのものが目の前で失われた。
誰に宛てよと言うのか・・・。
宛てる事の出来ぬ文。
必要ない、かと言って返すのも礼を失する事に成り得るので躊躇われる。
・・・一人、か。
だが、孤独ではない。
そう孤独では・・・。
誰よりも凛々しく高き矜持を持つ幼き頃より憧れた漢。
俺を家族と呼んでくれる彼の方がいる。
己が何故生きているのかと幾たび問うたことか・・・。
都より一人逃げ帰ったあの時、彼の方が赦したから俺は在る。
悔やんでも悔やみきれぬ・・・。
だが彼の方が、若が傍に在る事を赦してくれた。
幼き頃より言い尽くせぬ程の礼。
・・・そうだ!
想いを、伝えきれぬ言の葉を文に記そう。
驚くかもしれないが若なら・・・笑いながら受け取りそうだ。
その姿を思い浮かべるだけで胸の奥に温かいものが湧き上がる。
たまには、いいかもしれない。
慣れない地で落ち着かないのは俺だけじゃない。
連なるものがあるのだと、その想いを伝えよう。
馬岱は立ち上がり、隅にやった筆や墨などを卓に置くと胡牀に座り紙を広げた。
硯に水で溶いた墨を入れ手に筆を握る。
だがそれだけだった。
その手は一向に動くことはなかった。
静かな時が過ぎる。
穏やかな時。
激動の時を必死に生き抜いてきた馬岱に与えられたもの。
本来ならば心癒すものなのにそれさえも馬岱の心を締め付ける。
穏やか過ぎる時を甘受するには相応しくないという想いを持つ馬岱にとっては。
いつも誰かが・・・傍にいた。
その中でも穏やかな時はあった。
微かにでも聞こえる音もあった。
とても身近な、大切な人々が奏でる音。
それが如何に大切な物だったのかを今更になって知る。
あの頃、当然だと思っていた物が今はなく・・・。
思い出に変わり胸の奥底に刻まれた。
・・・ふふ、一人でいると沈みがちになるものだ。
思わず失笑が零れる。
若の傍にいるとそんな想いに支配される事はない。
こんな時ばかりは今迄どれだけ支えられていたのかを思い知る。
若が在るからこそ、今の俺が在り生きる意味が在る。
伝える事は湧き上がるように思い浮かぶ。
なのに・・・何故この腕は動かないのか。
文を書く事自体は苦手ではないのに、いざ若に宛てるとなると緊張が走るものなのだな。
いつだって共に在ったから、近くに居たから文など書く必要もないせいかもしれない。
それに若が返書するというのも思い浮かばない。
若が・・・ふふふ、あまり想像出来ないな。
失礼とは分かっていながらも思わず笑みが零れてしまう。
「岱、邪魔するぞ。」
え!?
突如、室に入ってきたのは想像していた人物。
「あ、わ、若!」
「どうした?妙な声を上げて。」
慌てていると訝しげな視線を送られた。
「突然、若が参られたので驚きました。」
「いや、立つ必要はない。片付けが終わったのか見に来ただけだ。」
俺が立つのを制止する若。
もう片付けは終わったのだろうか・・・。
若が?
「まさか・・・俺に手伝わせようとしてませんか?」
俺の言葉に口の端を上げて笑う若。
そのまさかなのだろう。
「この通り、俺もまだですよ。」
若は俺に与えられた室を見回すと幾分驚いていた。
そして視線を俺の前の卓に移すと首を傾げている。
「ん、文か・・・邪魔したか俺は。」
「いえ、構いません。一息吐こうと思ってましたので。」
笑みを浮かべながら告げると若も笑みを返してくれた。
「そうか・・・久しいな、岱が笑うのは。」
「え?」
眩しそうに見つめられ、俺は若の言葉に驚いた。
笑顔・・・。
若がそう言う程、今迄笑っていなかったのか、と。
あの頃は自然に零れる笑み・・・気付けば作るようになっていた。
「笑えてませんでしたか?」
「他の者に分かる筈もないだろう。」
若は・・・気付いていたのか。
「ふっ幼き頃より知っているのだぞ?だから俺の前では無理に笑う必要はない。」
敵わないな、この方には。
「はい、心得ました。」
もう笑みは自然に零れるようになっていた。
「ハハ、岱は変わらぬな。」
「それは若もですよ。」
変わらない・・・それが互いの救い。
復讐に駆り立てられそうな時もある。
だが若の苦しむ姿を目にした俺は抑えようと誓った。
復讐では何も変わらぬと・・・きっと彼らは今はいない、彼らは言うだろうから。
「あっそうだ!」
丁度いい。
「ん、なんだ?」
「若、そちらにお座り下さい。」
俺は卓の前に、近くにあった胡牀を置き若を座るように促した。
「ああ。」
若が座るのを確認して俺は、想いを込めた笑顔を向けた。
戸惑いながらも若は俺を真っ直ぐに見つめて来る。
俺は筆を握り直し乾いてしまった硯に墨を再び擦り直す。
墨が湛えられた硯に筆を浸し卓に向き直り最初の一文字を書き始めた。
「・・・!?」
その一文字に若は驚きつつも無言のまま紙を見据えてくれていた。
馬孟起殿
遥か空は今は遠く、思い出深き鮮やかな空は目を閉じて思い馳せるしか無く。
然、霞掛かることは無い。
今此処に在る事は夢の如きと思えど、現で在ると目が覚める度に思い知る。
幾度、夢で在れと願った事か。
胸の奧の痛みが嘘で在れと想った事か。
だが、其れは弱き心の願いでした。
何故、失われたのか・・・。
問う言の葉は虚しく消え行くのみ。
答の無きまま過ぎ行く日々に、貴方は答を示された。
先をなくした者に代わり前を見よと・・・。
其の言に後ばかりを見ていた自身を知る。
失って後悔したのは己だけで無く、同じく・・・。
否、其れ以上に貴方は疵を負う。
僅かでも癒しに為れたなら、と幾度願った事か。
だが其れも叶わず。
反し貴方の強さを目にする度に自身も強く為れるかの如く。
馬氏としての誇り・・・
貴方は背負い其の重さ知りながら一助にも為れぬ自身が歯痒かった。
其れでも貴方は私を傍にと。
私は貴方に救われ此処に在る。
叶わぬ夢と全てを捨て去らずに済んだのは全て貴方が此処に在るから。
鮮やかな光彩は変わらずに私達を迎える・・・そう信じ。
いつの日か懐かしき郷の空を貴方と共に見上げる事を願わん。
いつまでも共に。
何処まで目指す物が果てなくとも。
幼き頃より憧れた貴方とならば何処までも行ける。
願わくば共に生きる事を赦されん。
ここに、改めて感謝の意を捧げます。
拝
走らせた筆を止めると無言のままだった若が顔を上げる。
眼前で文を記す・・・改めると何と恐れ多い事かと感じた。
おずおずと顔を見ると若は微笑を浮かべていた。
その優しい眼差しだけで赦されたと思ってしまうのは気のせいか。
いつまでもお傍に、赦されるなら永久に。
それは心からの願いだった。
馬岱に与えられた穏やかな時。
馬超の齎す明るい響きが静まり返っていた室に灯を燈す。
人の心は移り行くもの。
だが彼等は互いに想い合い、互いを守りたいと願う。
彼等の心は移り行かぬ、確かな心であった。
幾度の困難も打ち砕く強い絆。
文はその絆を更に深め、新たな地での暮らしの不安を拭い去るだろう。
彼等自身が自身である限り・・・。
了
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